Carbon Neutrality

2026.07.22(Wed)

水田から始まる脱炭素──農業体験と連動したJ-クレジット購入で、カーボンニュートラルを「自分ごと化」した日立ハイテクの挑戦

水稲栽培における「中干し延長」という農業技術と、企業のカーボンクレジット購入を結びつけたユニークな取り組みが、茨城県常陸大宮市の農地で動き出しています。NTTドコモビジネスが設計したJ-クレジット活用スキームに、日立ハイテクが「社員による田植え体験」とセットで参画。クレジットを購入するだけでなく、その創出プロセスに社員自身が関わることで、脱炭素を体感・可視化する新たなモデルを描いています。

本記事では、スキームの仕組みから、2026年5月に実施された田植えイベントの様子をレポート。そして今回の取り組みを踏まえた今後の展望まで、プロジェクトを牽引した担当者たちが語ります。

目次


    「中干し延長」による農業由来のメタン削減

    近年、日本企業の脱炭素対応においてカーボンクレジットの活用が広がっています。その中でNTTドコモビジネスが注目しているのが、水稲栽培における「中干し延長」を活用したJ-クレジットの創出事業です。

    日本の農林水産分野における温室効果ガス(GHG)の排出量は、2024年度に4,638万トンとされ、農業では稲作が主要な排出源の一つとなっています。中干しとは、稲の栽培期間中に一度水田の水を抜き、田面を乾かす作業のこと。分げつ(茎の枝分かれ)を抑制し、稲の成長を整える目的で行われる、古くからの農業技術です。

    水が張られた水田では、土壌中の微生物が有機物を分解する過程でメタンガスが発生しますが、この中干しの期間をあえて通常より延長することで土壌への酸素供給が増え、メタン生成菌が減少し、結果としてメタン排出量が削減されます。メタンはCO2の約28倍の温室効果を持つGHGであり、その削減は地球温暖化対策における重要課題の一つです。

    こうした水田由来のメタン削減につながる取り組みは、2023年3月に「水稲栽培における中干し期間の延長」としてJ-クレジット制度の新たな方法論として承認され、国によるクレジット認証の対象となりました。農家にとってはこれまでの米作りの方法を少し変更するだけで新たな収益機会となり、企業にとっては購入したクレジットを自社のカーボンオフセットに充当できます。NTTドコモビジネスは、このJ-クレジットの申請・販売事業者として、農家とクレジット買い手企業をつなぐ役割を担っています。

    今回のプロジェクトでは、スマート農業実証支援などを手がけるOmusubi TecHが農家とNTTドコモビジネスとの間の調整・支援を担いました。J-クレジット申請に不慣れな農家への手続きサポートから、農業体験イベントの準備・運営まで、現場を横断してプロジェクトを支えています。

    「クレジット購入」だけでは脱炭素活動を自分ごと化できない

    日立ハイテクは、2027年度までにScope1・2のカーボンニュートラルを達成し、2050年度までにバリューチェーン全体でのカーボンニュートラル達成という高い目標を掲げています。

    そして、その実現に向けてカーボンクレジットの活用を検討する中、NTTドコモビジネスが手がける農業由来のJ-クレジット事業に着目。プロジェクトを担当した日立ハイテクの永江 俊祐氏は、当初からある課題意識を抱えていたといいます。

    ──今回の取り組みに参画された背景を教えてください。

    日立ハイテク 永江 俊祐氏(以下、永江氏) 当社は、事業者自らによるGHGの直接排出(Scope 1)と、他社から供給された電気、熱、蒸気の使用に伴う間接排出(Scope 2)について、2027年度までに当社の海外含めた全事業所(工場・オフィス)で排出量実質ゼロを達成するという目標があります。その中で、カーボンクレジットを購入してオフセットする手段があるのですが、どうしても「お金で解決する」というイメージが拭えない課題がありました。

    単なるクレジット購入にとどまらず、社員が自ら創出の現場に関わる形で、カーボンニュートラルの取り組みを可視化・自分ごと化していきたい。そういった思いから、今回の取り組みを始めました。

    永江 俊祐│株式会社 日立ハイテク

    ──茨城県でこのような取り組みを行ったのはなぜですか?

    永江氏 茨城県には当社の事業所が数多くあります。那珂地区は中核工場の一つである「那珂地区那珂サイト」を擁し、多くの従業員が働くエリアでもあります。自分たちの工場のすぐそばにある田んぼから創出されたクレジットを購入する。その地域との「つながりの可視化」こそが、脱炭素活動をより身近なものにするという考えがありました。

    また、ひたちなか市に2021年3月に竣工した「那珂地区マリンサイト」は、再生可能エネルギーの活用により竣工時からGHG排出量実質ゼロを達成しています。J-クレジットの活用も含めた脱炭素の取り組みは、日立ハイテクのグループ全体の戦略として位置づけられています。

    クレジットの信頼性には「透明性」が重要なポイント

    一方、このプロジェクトの設計に携わったNTTドコモビジネスの藤田 航平も同様に、「クレジットを買うだけ」という構造が企業側にとっても課題になっていると言います。

    ──J-クレジット購入と社員参加型イベントを組み合わせるスキームは、どのような考えから設計されたのですか。

    NTTドコモビジネス 藤田 航平(以下、藤田) カーボンクレジットは、信頼性やグリーンウォッシュ(環境配慮の実態が伴わない行動や表現)の観点を気にする企業が多く、また、地域貢献という観点からも「どこで、どのように作られたのか」の透明性が重要です。そこで、クレジット購入企業自ら、創出のプロセスに関わっていただくことで、購入するクレジットへの理解や納得感が生まれ、ひいては他のクレジット活用も進みやすくなるのではないかとの思いから、今回のような企画を設計しました。日立ハイテクにも、単に購入するだけでなく、クレジットの趣旨を理解していただける形にしたいと考えました。

    藤田 航平 │NTTドコモビジネス

    田んぼに入った19名──体験イベントが生む「脱炭素の自分ごと化」

    そして、2026年5月23日。JA常陸アグリサポートの体験圃場に、日立グループのメンバーをはじめ計19名が集まりました。日立ハイテクのサステナビリティ推進部門の担当者を中心に、日立製作所のJ-クレジット担当者、Omusubi TecH、NTTドコモビジネスのメンバーも加わったこのイベント。社員が実際に田んぼに入り、将来活用を予定するJ-クレジットの創出現場を体験する取り組みは、日立ハイテクとして初めての試みとなりました。

    初の社員参加型の環境イベントとして田植え体験を実施

    当日のプログラムは、協力農家によるレクチャーからスタートしました。この地域のお米の特徴や水稲栽培の基礎、そして中干し延長がなぜメタン排出削減につながるのかが参加者に丁寧に説明されました。その後、参加者は田んぼに入り、実際に田植えを体験しました。

    Omusubi TecHの藤田氏によると、農家側も参加者がまっすぐに苗を植えられるよう、事前に誘導ロープを準備するなど、「せっかく来てくれるなら、楽しく有意義なひとときを過ごしてもらいたい」という思いで当日を迎えていたといいます。

    参加したメンバーの一人、日立ハイテクの佐藤 亜紀氏と、現場を取り仕切ったOmusubi TecHの藤田 桃歌氏に、体験イベントについて振り返ってもらいました。

    ──田植えイベントに参加されてみていかがでしたか。

    日立ハイテク 佐藤 亜紀氏(以下、佐藤氏) 田植えの最初に足をとられ、泥の中に突っ込んでしまいました(笑)。でも、カエルの声を久しぶりに聞いたり、空と緑しかない場所で体を動かしたりするのは、本当に健康的でいい時間でした。自分で植えた苗列は蛇行してしまいましたが、実際に手を動かして泥まみれになって、環境問題を書籍で読むよりも、体の中に残るというか、こういう社会課題があるのだな、と自然に感じることができました。

    参加した他のメンバーにも、J-クレジットの「購入」という行為を具体的に実感してもらえたのではないかと思います。自分たちが田植えを体験した田んぼで、出穂前に農家が中干し延長を実施し、メタン排出量が削減される。その削減量がJ-クレジットとして認証され、当社が購入することで、当社の工場のGHG排出量のオフセットに充当されるという一連の循環を、体を通して理解することができました。

    佐藤 亜紀│株式会社 日立ハイテク

    ──藤田さんは企業側と農家側の双方で変化が生まれていると感じますか。

    Omusubi TecH 藤田 桃歌氏(以下、藤田氏) 農家さん側も、売って終わりではなくて、こうやってクレジットの背景を直接理解してもらえることを、前向きに捉えていただいていると感じています。実際に日立ハイテクやNTTドコモビジネスのような企業が田んぼに足を運んで、手を動かして農作業をして、地域のお米の話を聞いていく。そういう交流の場が生まれることは、農家さんにとっても意義があることだと思います。

    藤田 桃歌│株式会社Omusubi TecH

    「脱炭素×地域共生」を次のモデルケースへ、三者が描く今後の展望

    「J-クレジットを購入する」という行為の裏側には、農作業の変化があり、土壌の中のメタン生成菌の働きがあり、それを支える地域の人間関係があります。今回のプロジェクトが示すのは、企業の脱炭素活動が「数字のオフセット」を超え、地域と社員と農家を結ぶ体験の連鎖になりうる可能性です。

    改めて今回のプロジェクトを、各社はどのように位置づけ、今後につなげようとしているのでしょうか。最後に、日立ハイテク、Omusubi TecH、NTTドコモビジネスの3社に聞きました。

    ──今回の取り組みを、日立ハイテクとしてどのように位置づけていますか。

    永江氏 当社のサステナビリティ活動において、脱炭素と地域共生を同時に実現するモデルケースになってほしいですね。スコープ1のクレジット創出・活用に加えて、社員の意識変革や地域との連携強化にも寄与する取り組みとして展開していきたいと考えています。

    今回の体験イベントについては、参加者へのアンケート結果をもとに改善を重ね、対象を環境担当以外の社員や家族へと広げていく方針です。さらに、ゼロカーボンを達成した醸造所で作られた「ゼロカーボン日本酒」を社内で提供するといった構想も温めています。体験のサイクルを「田植え→収穫→食卓」までつなげることで、脱炭素の「自分ごと化」を社員の日常に根付かせていくことを目指しています。

    そして、今回のイベントを単発の取り組みにとどめるのではなく、こうした体験を継続的な取り組みとして展開していくことで、脱炭素と地域貢献、地域との共創を日常の生活の中で実感できる機会を広げていく考えです。

    ──Omusubi TecHは、プロジェクトを農家との橋渡し役として支えましたが、地域・農家にとって、今回のような取り組みの意義はどこにあると感じていますか。

    藤田氏 農家さんにとっての意義は金銭的なメリットだけではありません。企業の方々が実際に足を運んで、農業の現場を理解してくれること自体が、農家さんにとっても前向きな体験になっていると感じています。そして、日立ハイテクの社員の方々にとっても、クレジットを「買った」だけでは終わらず、自分の会社がどんな環境配慮をしているのかを肌で理解するきっかけになる──。こうした体験型の取り組みが広がって、GHG削減がまさか農業からもできるとは思っていなかった、という方々の気づきにつながればよいなと思います。

    ──NTTドコモビジネスでは今後、この取り組みをどのように広げていきたいですか。

    藤田 こういった取り組みは、ぜひ他の地域・他の企業でも続けて、広げていきたいと思っています。田植えイベントは我々としても初めての試みでしたが、これをきっかけに、農家さんや協力いただける企業様とともに他の地域でも展開できればと考えています。

    J-クレジットの創出に関わりたいという企業様はほかにもいらっしゃいますので、今回のような協創モデルをどう広げていけるか、引き続き検討していきます。また、IT企業として農業における各種センサーの活用など、クレジット創出の取り組みを、IoTをはじめデジタルの力で支援できる可能性を感じており、そうした領域にも注力していきたいと思っています。

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