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2024.04.20(Sat)
目次
――アニマルウェルフェアは家畜やペットなど人間の管理下にある動物の生き方を尊重し、その一生を通じて身体的・精神的な苦痛やストレスを最小限にするよう配慮すべきだという思想です。ヨーロッパを発端に広まってきたこの思想について、日本にはどの程度、浸透していると感じていますか?
髙橋俊彦氏(以下、髙橋氏):欧米と比較し、日本ではアニマルウェルフェアに沿った取り組みがまだまだ遅れていると感じています。この思想の意義を知る方々は確実に増えてきていますが、酪農、畜産の現場では人の作業形態や飼養の手法などにおいて古い価値観から脱却できていないケースがまだまだ多いと言えるでしょう。その背景には、牛や豚をただの家畜としてしか見られないという日本の国民性があるのかもしれません。

――動物の自由を尊重する意義は理解しやすい一方、アニマルウェルフェアを実現しようとすればコストが掛かります。時代の流れから見て、酪農、畜産の現場は動物のためにこのコストを背負うべきなのでしょうか?
樋口豪紀氏(以下、樋口氏):現場としてはコストが掛かりますが、生き物たちの幸福をどう実現していくかという問題に向き合わなければ酪農、畜産のビジネスはどんどん難しくなっていくでしょう。たとえばアニマルウェルフェアに反する飼育環境で育てた鶏を、大手ファーストフードチェーンが利用していたとします。諸外国ではこうした企業体には投資家が興味を持たないといった状況が実際に起きています。日本でも将来的にはこうした意識が高まっていき、アニマルウェルフェアに反した畜産物を社会が受け入れない方向になっていくと考えています。

――2026年末に完成予定のロボット牛舎ですが、酪農学園大学がなぜこの取り組みを実現するに至ったのか、教えてください。
髙橋氏:既存の牛舎が築25年となり、飼育環境や設備面で時代に合ったリニューアルを行うべきだという声が学内で高まっていました。そこで学長の強いリーダーシップのもと、どうせなら全面的に新しい牛舎を作り、大学でしかできない最先端の取り組みをやってみようという方向に話がまとまっていきました。また、新牛舎での実践によって、これぞ、スマート農業であるという姿を学内外に見せていきたいということが大きな目的でした。
樋口氏:新牛舎を通じ、学生たちには動物福祉の概念をしっかり持っていただくということも重視しました。アニマルウェルフェアの中核原則は、「飢えや渇きからの自由」「不快からの自由」「痛みや病気からの自由」「恐怖や苦悩からの自由」「本来の行動をとる自由」といった5つの自由です。牛舎の設計においてはこうした牛の自由をしっかり担保することを意識しました。

――新牛舎における先端テクノロジーの導入は、アニマルウェルフェアの実現にどうつながっていくのでしょうか?
樋口氏:今回、新牛舎に導入予定のロボットは決して人間だけの都合で作られたものではなく、総じて、動物に寄り添った動きを実現します。たとえば搾乳では、従来、人が牛舎に一日2~3回程度入って乳搾りを行っていました。つまり、牛は人の手による搾乳を待っていたわけです。一方、搾乳ロボットを導入すると、牛が搾乳してほしいタイミングで自らロボットの場所へ移動して乳を出すことになるので、搾ってほしいのに長時間人が来ないという状況を避けることができるのです。こうした一面を見ても、最新のロボットを導入することとアニマルウェルフェアは直結していると言えるでしょう。
髙橋氏:当初は、ロボットによる搾乳を見て本当に驚きました。一日に10回も搾乳ステーションに入る牛がいる一方で、一日に1回しか搾乳ステーションに入らない牛もいました。牛によって乳量が異なることは知っていましたが、ここまで差があることにショックを受けたのです。私の実家は酪農家でしたし、現在もこうした仕事をしているので搾乳については分かったつもりになっていました。そんな私がロボットの導入によって牛の安楽とはこういうことなのだと気付かされたわけです。

――搾乳のほか、導入されるロボットについてもお聞かせください。
髙橋氏:給餌については自動フィードシステムを採用し、搾乳と同様に牛が食べたい時に餌を食べられるように給餌する仕組みになっています。人力で一日数回餌を与えるよりも、牛の欲求に沿うことができるシステムです。また、従来は大変な作業だった除糞にもロボットを採用し、自動化を実現します。人がつねに見張っているわけにはいきませんから、人力で掃除しようとするとどうしても牛の寝床や通路に糞がたまる時間が増えてしまいます。でもロボットを利用すれば、どれくらいの時間間隔で糞を掃除すればいいかを学習してくれるため、牛舎を清潔に保つには極めて効率的です。こうしたテクノロジー全てが牛の安楽に直結すると言えるでしょう。

――糞尿処理については他にも画期的なシステムを導入されるそうですね。
髙橋氏:カナダ製の浄水システムを国内で初めて導入し、集めた糞尿を浄水してそこで得た水を床洗浄など多様な用途で活用しようと考えています。これまで糞尿は畑に還元していたのですが畑のキャパシティにも限界があり、この課題を解消する策として水のリサイクルを考案しました。持続可能な酪農のしくみへとつながる手法の一つです。
――お話を聞いていると、人力で行っていた作業を単にロボットが代行するだけでなく、これまで人の作業が及ばなかった領域までロボットやテクノロジーが対処してくれるという印象ですね。
髙橋氏:まさしくそう感じます。人の作業には限界がありますし、ロボットによる作業は人力では意識しなかった領域にまで及んでいます。大袈裟に言えば、テクノロジーの導入によって徐々に酪農の常識が変わっていくかもしれません。
――ロボットが介入することで、多方面においてデータの取得が可能になると思います。データの利活用をどのように行い、そこで得られた分析結果がどうアニマルウェルフェアへつながっていくのかについて、お聞かせください。
樋口氏:牛の病気で最も多いのが、乳房の中にバクテリアが入ってしまうことで感染してしまう乳房炎です。搾乳の際には乳汁を常にモニターしていますので異常の早期発見につながり、この乳房炎をはじめとした病気の初期段階で獣医師が即座に介入できます。従来であればある程度の症状が出てからでないと病気への対応はできませんでしたが、こうしたデータの活用によって牛の苦痛を減らすことが可能になりました。また、乳汁からはホルモンの測定もしますので、この牛はいつ授精するのが良いのかというタイミングを論理的に推測できるようになります。
髙橋氏:加えて、赤外線カメラによって体型データなどを収集しているので、こうした情報が病気の早期発見につながります。また、牛の運動量なども把握できるため、運動量の過不足から体の不調を予見できるケースも増えるでしょう。さらに、牛が搾乳ステーションに入る際には自動的に蹄を洗浄してくれるため、蹄の病気予防につながります。ロボットの導入によって病気が深刻化する前に対応できるため、牛の安楽だけでなくコスト削減にも効果を発揮するのです。
――取得した種々のデータは、分析手法の進歩によって今後、どのような可能性を持つと考えられますか?
樋口氏:たとえば、健康の基盤となる飼養管理の領域で、有効なデータの利活用が考えられると思います。健康状態とつき合わせながら餌の成分がこのままで良いのか、特定の病気が起こりやすいのはどんな栄養が足りていないからなのか、免疫力を正常に維持するためには何が必要なのかなど、データから読み取れるようになるかもしれません。

――酪農とデータサイエンスの融合は、学生さんたちの学びにおいても良い機会を提供することにつながっていきそうですね。
髙橋氏:本学は実学教育が基本ですので、牛に触れ、牛の体温を感じながら実習を進めていくことはもちろん、これに合わせて取得したデータがどう連動しているのかを探っていくことには大きな意味があると考えています。
樋口氏:日々、リアルタイムで膨大なデータを取得しているので、このビッグデータがどのような意味を持つのか、どのような領域で活用できるのかを解き明かしていくことは、学生たちにとって大切な学びの機会となるでしょう。ゆえに、座学において、データを読み解く数学的手法や統計学を身につけるのも学生にとっては重要な時間です。大学としては、学生たちのスマートフォンからでも特定の牛の健康状態を確認できるようシステムを整え、つねに各自がデータと向き合い、思考を重ねられるような環境を提供していきたいと考えています。

――そのような学びが得られるのは、2026年4月に新設された農環境情報学類の学生さんですか?
樋口氏:はい、基本的には農環境情報学類で行われます。ただ、さきほどお話した牛の病気などについては獣医学類の範疇ですし、獣医師になってもデータの活用手法や効果については知識として持っておくべきです。ですので酪農体験やデータ利活用については獣医学科など関連学科の実習にも横展開できるでしょう。農環境情報学類を中心としながら、多様な学類が牛舎運営やデータサイエンスの領域に関わることで、多くの学生が深い学びを得られるようになると考えています。
――日本ではあらゆる分野で労働力不足が問題となっていますが、今後、持続可能な酪農、畜産を実現する上で高度な自動化は必須だと感じていますか?
髙橋氏:搾乳、給餌、糞尿処理などを自動化できれば、省人化、省力化に大きな効果が得られます。労働時間が減少すれば、人は余った時間を別の作業や業務に使えるでしょう。牛をしっかり観察したり、経営について戦略を練ったり、草地管理の仕事に時間を使ったり。酪農家にとって休息時間が増えるというのも重要な部分です。時間的余裕ができれば、総体的に豊かな酪農の運営につながっていくため、高度な自動化は喫緊の課題と言えます。結局、ロボットやテクノロジーの導入によって、労働力不足の解消、アニマルウェルフェアの実現、そして酪農家のQOL改善が見えてくるのだと感じています。酪農や畜産の道に進もうと思っても、労働時間の長さなどから躊躇してしまう若者もいるのが現状です。私たちは、彼らが夢を諦めずにチャレンジできる環境を作っていきたいと考えているのです。
樋口氏:アニマルウェルフェアの実現や労働力不足の解消を突き詰めていくと、スマート酪農という観点はどうしても必要になってきます。ただ、現状では酪農に関わる方々の高齢化が進んでおり、ロボットやテクノロジーの導入に対して心理的なハードルを感じる方も少なくありません。だからこそ、若い学生たちが最新のテクノロジーに触れ、こうした人材を多く輩出することで将来的なスマート酪農の社会実装がより現実的になるのだと考えています。
――ここまでお話をお聞きし、酪農の領域における飛躍的な進化を感じました。最後に、酪農が変化していくことに対するお二人の思いをお聞かせください。
樋口氏:これまで日本の酪農は、家族経営を中心に、日々の丁寧な積み重ねによって支えられてきました。酪農家の皆さんは牛と真摯に向き合いながら、日本の食と地域を守り続けてこられたと思います。そうした営みを大切にしながら、近年は最新のテクノロジーの活用によって、作業負担の軽減や時間的なゆとりの創出も可能になってきています。酪農家の方々が、より安心して持続的に経営でき、暮らしの豊かさも実感できる未来につながると考えると、本学の取り組みはとても意義深いとあらためて感じます。

髙橋氏:私自身、酪農の家に生まれ、両親の苦労をつぶさに見て育ちました。そんな状況を見かねてか、小学生だった私は「将来、ボタン一つ押せば餌がやれて、搾乳ができ、糞の処理ができるような設備をつくる」と親に話していました。まさにそんな夢物語が現実となっていることにとても感動しています。現在、95歳の母に新牛舎の話をすると「絶対に見たい」と言っておりました。牛舎完成後は、ぜひ母に見せたいと考えています。
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