01
Coming Lifestyle
2023.10.20(Fri)
目次
――ヘルスケアに対する世間の関心は高く、さまざまなデータも得られている一方、医療機関ではDXが遅れているとも聞きます。まずは医療・ヘルスケア領域のデータ利活用について、現状や課題をどのように捉えていらっしゃるかお伺いできますでしょうか。
石見陽氏(以下、石見氏):私は病院経営に触れる機会があるのですが、たしかに医療現場のDXは遅れていると思います。情報のデジタル化が進んでいる最中ですので、まだDXの手前の段階ですね。電子カルテはだいぶ普及してきましたし、大規模な病院では検査のオーダリングシステムなども導入されて、院内でのデータ連携も進んできました。
櫻井:データは集めて、連携・共有して初めて利活用ができるもので、データの利活用に携わる企業としては、そこまで進まなければ何もできないというジレンマがあります。石見先生のお話のとおり、電子カルテは普及してきましたが、カルテの情報はもともと外部との共有が想定されていなかったため、共有のためのフォーマットの統一もデータ利活用に向けた課題の一つです。
波江野武氏(以下、波江野氏):一個人の視点で考えてみると、できるだけ病気になりたくないですし、仮に病気になったとしても、できるだけ早く見つけて治したいですよね。それをデータが助けてくれたらベストだと思っています。とはいっても、例えば健康診断の「要観察」という結果を必ずしもすべての人が観察しているわけでないなど、データの示唆と行動とのギャップがあるのが実態です。さまざまなデータが得られるようになってきている中で、一人ひとりがデータの重要性を理解して健康のために行動できるかどうか、そして医師がその重要性を、いかに本人が「行動しよう」と思えるような形で伝えられるかがカギになりそうです。
――カルテの情報や健康診断の結果など、医療機関で得られるデータのほかに、アプリやウェアラブルデバイスなどを通して、個人が日常の中で取得できるデータもありますね。
櫻井:そうですね。睡眠やフェムテックなどの領域では、アプリを通してデータがどんどん蓄積されています。一番の根幹にある医療機関のデータを活用できるようにするのも重要なポイントではあるのですが、まずは先行して個人の記録から得られているデータがさまざまな形で活用されていくでしょう。
石見氏:日常的に得られるデータが増えて、患者さんにベネフィットがあると分かれば、医師の指導のしかたは大きく変わるはずです。波江野さんのお話にもありましたが、データが本当に行動変容につながるのか、データを見て行動を変えることでどれくらい良いことがあるのか、というのはとても大切ですね。
波江野氏:データありきではなく、データを集める目的を明確にすることが不可欠だと思います。例えばある大学では、地区住民の健康診断データを使った健康増進プロジェクトを行っています。一般的な健康診断の項目に加えて、追加でさまざまな項目のデータを収集しているのですが、それはこうしたデータの掛け合わせによって実現する研究があるからです。目的がはっきりしていないと、データを無限に集めることになってしまいます。もちろんデータを集めるには手間もコストもかかります。
櫻井:まず課題設定があり、その課題を解決するために必要なデータがあるのですよね。大量のデータを集められるからこそ、「何のためにそのデータを使うのか」を忘れてはならないと思います。
波江野氏:我々がヘルスケア領域でのビジネスを考えるとき、「MERITS」というフレームワークを使います。M(Monetization:マネタイズ)、E(Evidence:エビデンス)、R(Regulation:規制)、I(Insights:インサイト)、T(Technology:テクノロジー)、S(Stakeholders:座組)の6つを略したものです。例えば、データを収集する技術ばかりに注目してしまうと、他の要素がおろそかになり、データがあっても何をすればいいのか分からなくなってしまう。そういったことを防ぐために有用なフレームワークだと思います。
――ヘルスケアデータ利活用の動きは各所で進んでいると思いますが、NTT Comではどのような取り組みを行っているのでしょうか?
櫻井:NTT Comでは、ヘルスケアデータを収集、分析、活用するためのプラットフォーム「Smart Data Platform for Healthcare(SDPF)」を提供しています。ヘルスケアデータには、機微な個人情報が含まれることが多く、データを活用したくてもセキュリティ面で懸念が生じがちです。そこで、データを暗号化された状態で分析できる秘密計算機能や、個人を識別できないようにするための匿名加工・仮名加工機能、ユーザーからの同意取得のしくみなどを提供し、ビジネスや国の事業、医療機関での研究などにご利用いただいています。
例えば、千葉大学医学部附属病院との共同研究では、秘密計算AIの技術を活用し、機微な医療データを安心して扱える状態にした上で、各診療科の課題を解決しようとしています。以前のOPEN HUB Journalの取材時では、3つの診療科と共同研究を進めていましたが、現在は5つに増えています。
また、患者さん自身の主観的な評価をスマートフォン経由で収集できる「SmartPRO」も提供しており、こちらはデロイト トーマツ様にもご協力いただいています。「SmartPRO」は臨床研究のほか、厚生労働省の予防接種後健康状況調査にも使っていただいています。
これ以外に、フェムテック領域に携わるさまざまな企業と、データを活用したビジネスの共創を目指すコミュニティーも作りました。今後は、行動経済学なども組み込みながら、健康診断データなどを活用して健康経営を支援するサービスの提供も予定しています。
石見氏:データの技術には規制がつきものですよね。個人情報保護に関する規制は、緩和に向かっているのでしょうか、それとも厳しくなる傾向でしょうか?
櫻井:世界規模で見ると、しっかり規制してプライバシーを守ろうという流れが基本ですが、一方でデータの活用を促進する方向性もあるように思います。
――石見先生、医師として、データ利活用に向けたこのような取り組みをどのようにご覧になりますか?
石見氏:2024年の医師の働き方改革を控え、臨床研究を効率的に進めたいというニーズは大きいと思います。データを安心して効率良く活用できるしくみがあれば、できることが増えそうです。研究で個人情報を使用する場合、法規制を守ることに加えて、各大学の倫理委員会の審査も通過する必要があります。個人情報を扱うことへの抵抗感や、医療従事者がリスクを回避したいという気持ちから、規制で求められる以上に厳しい条件を守ろうとしがちなのです。
櫻井:さまざまな手続きを経て、蓋を開けてみたら、データが研究に使えないことが分かって大変だったという話をよく聞きます。秘密計算をデータ共有の入り口として活用いただくことで、こうした問題を回避するお手伝いができるかもしれませんが、いずれにしてもデータの使用が問題ないかどうか、事前に確認できるといいですよね。
波江野氏:データは、集めたり、つないだりすることがゴールではなく、活用され、人々の価値になることが非常に重要なわけです。そういった意味で民間企業が期待するのは、倫理性や同意が担保された状態で、ビジネスの観点から活用しやすく、有用なデータであると思います。これまで以上に多くのステークホルダー(患者さんや民間企業他)がデータを活用する世の中が来る中で、幅広いデータの使い手の視点がますます重要になるかもしれません。
――波江野さん、海外でのデータ活用事例で、日本でも参考になりそうなものはありますか?
波江野氏:私はデンマークに5年ほど住んでいたのですが、数十年前からカルテの記載を住民がすべて閲覧できるようになっています。データを活用して、公衆衛生や疾患予防に役立てることも可能な環境です。国がデータの共有・連携を主導しているのですが、長い歴史の中で、マイナンバーのようなインフラ面も含めて整えていることで、データの利活用を推進しやすくしている事例だと思います。
櫻井:日本でも、カルテの記載内容に比べれば情報が少ないものの、自分の診療情報や薬剤情報をマイナポータル経由で確認できるようになりました。国がこのようなシステムを構築したのは非常に大きいことです。将来的には電子カルテのデータと連携される流れになっていくのではないかと予想しています。
――日本ではデータ漏洩の不安を訴える人が多いように思うのですが、デンマークではそのような声はないのでしょうか。
波江野氏:あくまで私の感覚ですが、デンマークでは、問題が発生しないようにする努力をすることに加えて、「発生した場合どう対応するのか」という考え方に触れることが多かった気がします。言い換えると、過去の失敗に固執するより、「それはそれとして、未来をどうするか」と考えているように思います。同時に、「受容できうるマイナスのリスクがあったとしても、プラスの価値が大きいのならばそれで良い」という評価軸を結構しっかり持っている印象を受けました。
――データの利活用が進んでいくと、未来にはどのような変化が訪れるのでしょうか?
石見氏:医療現場はまだデジタル化の途中ですので、まずはDXに向けた取り組みを進めることになると思います。医療分野では、住み慣れた地域で自立した生活を続けられるようなしくみとして、国が「地域包括ケア」を推進しています。地域包括ケアでは、医療だけでなく介護など他職種も含めた連携が求められるのですが、連携が断絶されているのが現状で、電話やFAXでの非効率なやりとりが続いています。
一方で、医療、介護、さらには患者さんのご家族まで含めた連携のシステムもすでに開発されていますので、連携をスムーズにするような動きがこれからどんどん進んでいくでしょう。こうした連携が進む中でデータがどんどん蓄積されて、ようやくデータの利活用が始まるのだと思います。
櫻井:企業としては、まずは健康診断のデータやアプリで得られるデータなどを活用して、価値の創出を目指していくことになります。ユーザーに価値を感じてもらえるものを開発できれば、それだけそのサービスが利用され、さらにデータが蓄積される、といったサイクルが回っていくはずです。
――私たち一人ひとりの生活はどう変わると思われますか?
波江野氏:データを活用することで、医療機関に行くべきかどうかという判断の精度が上がり、医療機関に物理的に行く頻度が大幅に低くなるだろうと思っています。昔は銀行の窓口に非常に多くの人が訪れていたにもかかわらず、今は窓口に行かなければならないとき以外はオンラインでの取引が多くなったことも、一つ参考になると思います。データが上手に活用されて、医師が本当に診察すべき患者さんを見極められるようになれば、医師の働き方改革という観点でも、リソースの有効活用という観点でも効果が期待できます。オンラインでできることも増えていくでしょうから、特に地方在住の方にとっては、何時間もかけて医療機関に行かなくても医療にアクセスできる環境が整っていくでしょう。
石見氏:私も波江野さんと同じ意見です。患者さんが医療機関にあまり来なくなると、医師のあり方も変わるはずです。私の祖父も医師でしたが、当時は自転車で地域を見回って、家族全員を診ていたといいます。将来の医師も、病院で患者さんを待って病気を治療するだけでなく、病院の外に出ていって、予防医療の推進などにも携わっていくのかもしれません。
櫻井:「病院の外に出ていく」という意味では、医学部を卒業しても医師にならずに、企業で働く人が増えている気がします。
石見氏:そう思います。私が起業した頃は医師が開業ではなく起業をするということに冷ややかな目を向けられることも少なくなかったのですが(笑)、先日、「起業するために、医学を学んで患者さんを診ることが有効だと思った」という理由で医学部に入った学生と会って、衝撃を受けました。
――医師の活躍の場が、医療機関以外にも広がっていきそうですね。
石見氏:そうですね。そういう人がある程度増えて良いだろうと思っています。
波江野氏:もう1点、個人的な願いも含めて付け加えると、実際にデータの活用が進んで一人ひとりの受診機会を減らすためには、ヘルスケアデータに関する教育が進む必要があると思います。自分の手元にあるデータを確認することで、医療機関に行かなくてもある程度健康を保つことができたらたしかに便利ですが、それはつまり、医療機関に行くべきなのか、オンラインで相談したほうが良いのか、あるいは様子を見ていて大丈夫なのか、データをもとに自分で判断できる力があることが望ましいということです。一人ひとりがリテラシーを求められる方向になっていきますね。
石見氏:患者さんが変われば医師も変わりますし、患者さんにメリットがあると思えば、医師は比較的容易に行動を変えるものです。患者さんのリテラシーを高めるための教育も必要ですし、医師としてはどのようなデータにどのようなベネフィットがあるのか、エビデンスが欲しいですね。
櫻井:エビデンスは重要ですね。「アプリを使ってみたけど効果がなかった」となれば、データの利活用にはつながりませんので、専門家の知見を加えたり、医学的な見地で有益であることを証明したりする必要があります。最近は「専門家監修」とうたったアプリも出ていますし、すでにアプリのアルゴリズムの有益性を証明するための実証実験のようなプロセスも動いています。
先ほど「何のためにそのデータを使うのか」という目的が大切だという話題がありましたが、それに加えて「エビデンスはあるのか」という点も一つ一つ確認しながら、データ利活用を進めていかなければならないと思いますね。
■NTT ComのSmart Healthcare事業については下記をご覧ください。
https://www.ntt.com/business/dx/smart/healthcare.html
OPEN HUB
ISSUE
Coming Lifestyle
最適化の先へ、未来のライフスタイル