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DIVE to METAVERSE
2022.09.22(Thu)
目次
戸松正剛(以下、戸松):細田監督にご出演いただくイベント「僕らはメタバースに夢を見る」では、クリエイター目線でのメタバースの可能性について掘り下げていきます。今日はそれに先駆けて、監督のメタバースに対する考えについて伺えればと思っています。
細田守氏(以下、細田氏):わかりました。よろしくお願いします。
戸松:監督は20年以上前から「メタバース」的な世界をアニメーションの中で表現されているわけですが、なぜ、いちはやく仮想空間に着目したのでしょうか?
細田氏:確かに、私は2000年から継続してインターネットを舞台にした作品をつくってきました。そのことを「メタバースを表現してきた」なんて言われますが、実はそういう意識は全くないのです。昨今では仮想空間やインターネットの世界が、メタバースという言葉で一括りにされているように感じられます。果たしてメタバースは、自分が描いてきた世界と一緒なんだろうかと疑問に思っています。
劇場版『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』(以下「ぼくらのウォーゲーム!」」)を制作した時から、インターネットが新しい世代にとって何なのかをずっと考えてきました。その立場から見れば、インターネットの世界の理想的なかたちと、いまメタバースと言われている世界の間にはズレがあるのでは、と感じます。メタバースという概念には、単に仮想世界・バーチャルな世界というだけでは表せないニュアンスがある気がします。
戸松:何がきっかけだったのでしょうか?
細田氏:それは「2000年問題」です。当時世間をにぎわせていたこの問題と映画の企画がリンクしたところから「ぼくらのウォーゲーム!」の構想が始まりました。『デジモンアドベンチャー』のTVシリーズはデジタルワールドを冒険する話なのですが、その世界と僕が劇場版で描いた世界は似ているようで少し違います。
ファンタジーの中のデジタル世界というよりは“現実と地続きの関係で存在するデジタルワールドを描こう”っていうのが劇場版の趣旨でした。僕はデジタル世界が現実とかけ離れた空間だから興味があるわけではなく、“現実と関係がある世界”だから面白いと思ったのです。
2000年問題は、コンピューターの中の出来事なのに、リアルな世界に物凄く大きな影響が出るっていうところが面白かった。そこに着想を得た「ぼくらのウォーゲーム!」のストーリーは、現実とデジタルワールドが相互に関係しながら展開していきました。
そこには2000年問題への期待があったわけです。Windowsを通じてインターネットと一体になったこの社会が崩壊してしまうくらいのことが起きたら、すごく面白いなと思っていました。そのカタストロフィの先に、それを超える何かが生まれるのではないかと。
もっと言えば、2000年問題の到来によって、古いオトナたちの社会が崩壊して、その後に若い人や子どもたちが、新しい社会が打ち立てるのではないか。そんな希望というか、妄想がありました。ですが現実には幸いにも2000年問題で大した事件や事故は起きず、その後もオトナが構築した社会は続いていくわけですけどね。
しかし若い人に、古い社会をぶち壊して、新しい社会を打ち立ててほしいという思いが自分にはあったし、彼らはみんな旧態を脱した新しい社会を求めているのではないかという気もしていた。そんな希望や予感を表現したかったのです。
戸松:細田監督の制作において、リアルにおける出来事とインターネット世界の関係性こそが重要なファクターだったわけですね。では、昨今の社会状況とメタバースの関係をどうご覧になっていますか?
細田氏:FacebookがMetaへと変わったことは象徴的な出来事だと思います。アメリカ大統領選を契機としてFacebookの政治的中立性への信頼が揺らいでいました。それはインターネットの本質に関わる非常に大きな問題だと認識されたはずです。そこで、もう一度中立な新しい世界のビジョンをつくり出すことが目指された。そうして生まれたのがメタバースなんじゃないかと思っています。
つまり、既存のインターネット世界への信頼が崩壊したという現実の事態がメタバースの起点になっている。果たして、メタバースはインターネット世界への希望を取り戻しうるのか。私が関心を持っているのはそこです。
本来のインターネット世界のとても魅力なところは、一企業や国家よりも、さらに上位にある存在だからだと思うのですよ。なので僕が映画の中で表現した<OZ>や<U>のような仮想世界は、現実の政治を超えたインターネット世界として描いているのです。もちろん、現実には企業が営利のために取り仕切っているわけですが、そもそも20年前のインターネットはそういうものではなかったはずですよね。
最近でもTwitterの創業者ジャック・ドーシーが、Twitterを企業化したことを後悔しているとして「プロトコルレベルの公共財であるべきだった」と発言したことが話題になりましたが、これもインターネットの公共性や中立性に関わる問題でしょう。いま、企業が提供する「公共性」や「中立性」が疑われることで、仮想世界そのものの価値が損なわれていると感じます。当初期待されていたような公共的で中立的なインターネット世界は本当にありえるのか、あるはずだと期待したい。メタバースがこの問題をどうクリアするか、気になっています。
戸松:おっしゃる通り、特定の企業が牛耳る世界に若い世代は希望を見いだせないと思います。一方で、メタバースにおける公共性が担保され、順調に成長した先にはどんな未来が待っていると思いますか?
細田氏:最近思うのですが、SNSの中で本当に新しいものって生まれているのでしょうか? インターネットがない時代の方が、本当の意味で新しいものが生まれていたような気がするのです。「インターネット以前」を生きてきた自分なんかはそう感じています。
SNSにどっぷり浸かって、その世界しか知らない若い世代は、本当に新しいものが生まれる瞬間に立ち会っていないのではないか。だとしたら、それは気の毒だと思います。だからこそ、僕はメタバースが若い世代にとって「本当に新しいものと出会える世界」であってほしいと思っています。
戸松:SNS時代になりフィルターバブル化したファンビジネスが中心になる中、「インターネット以前」が有していたアルゴリズムの枠外にある出会いを再び獲得する手段にメタバースはなりえると。
細田氏:そうあってほしいと願っています。ほかにもメタバースは、現実の社会で抑圧された人にとって、新しい生き方を模索するチャンスになるはずです。単一の価値観の中で生きるのではなく、複数の価値観が並存する社会で生きることがメタバースによって可能になります。
リアルの世界では、その人が元々持っている身体的特徴や能力、ヒエラルキーといった自分の力では変えることが難しいさまざまな制約があります。それによって現実世界では認められない人でも、メタバースという別の世界で重宝されるということはありえる。世界が複数あることで、一人の人間が持つ可能性が広がっていくのではないか、そんな期待があります。
若い人に限らず、人間が生きていく上で、自分自身がいかに社会に貢献できるかは重要な課題であるはずです。メタバースはそんな挑戦のチャンスを広げてくれるのではないでしょうか。
戸松:なるほど。『竜とそばかすの姫』はまさにその可能性を描いた作品ですね。
細田氏:人権的に抑圧された人が、差別や偏見のない世界で自分らしい生き方を実現できる。高齢で肉体的には不自由な人でも、仮想世界なら様々な社会貢献が可能になるかもしれない。現実の制約や単一の価値観による抑圧から人々が解き放たれ、平等で公平な、誰もが活躍できる社会が到来する。メタバースによって、そんなダイナミズムが生まれることを想像します。それが仮想空間の希望なのではないでしょうか。
戸松:ありがとうございます。10月6日のイベントでは、そうしたメタバースのあるべき姿について、また現状の社会が抱えている課題に対してメタバースがどのように役立てられるのかなど、さらに踏み込んだお話をしていきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いします!
【見逃し配信中】
映画監督 細田守氏登壇!「僕らはメタバースに夢を見る」
申込URL:https://openhub.ntt.com/event/3880.html
『竜とそばかすの姫』をはじめ、これまで仮想空間と人の関わりを描いてきた映画監督細田守氏をお招きし、メタバースの本質とは何か、メタバースが描く世界観や意義について探ります。
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