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New Technologies
2025.01.15(Wed)
目次
—長年、情報学者の立場からテクノロジーと人間の関係性について研究、考察を続けてきたドミニク・チェン氏。コンピュータ上のタイピング行為を時間情報とともに記録し再生できるソフトウェア「Type Trace」の開発は、様々なアーティストとのコラボレーションにも発展し、多くの芸術祭やアート展でもインスタレーションなどを通じて注目を集めました。
通常のアウトプットでは可視化されることのない“思考の痕跡”を可視化することに成功したともいえる、このソフトウェアへの想いを発端に、まずはお話を伺いました。
ドミニク・チェン氏(以下、チェン氏):近年のわたしたちの世界は、SNSなどでいかにユーザーのアテンションを獲得するかといったことに注力するあまり、メンタルヘルスの問題や社会的な分断が生じてきてしまっている時代だと言えます。大局的な視点でテクノロジーの状況を見ると、決して楽観的な見方だけではいられないということにここ数年、多くの人々が気づき始めているように思います。つまりこれまでとは異なる切り口でテクノロジーを捉え直す必要性が増しているとも言えます。
自身の実践で言えば、たとえば「Type Trace」では書き終わった結果ではなく、書く途中のプロセスを送り合うということを行ってみました。興味深いのは、タイピング時の収録動画を再生しているだけなのに鑑賞者はある種のリアルタイム性を感じてしまうという点。過去の、非同期なデータなのに、リアルタイムに同期しているように感じる。読者が今、書き手とともに同じ時間に存在しているような“共在感覚”が生まれるわけです。このような「プロセスをいかに共有するか」という視点を、テクノロジーを見つめ直す上で活かせないものか。そのようなことを私は考え続けています。
渡邊淳司氏(以下、渡邊氏):お話を聞いて感じたのは、僕が関わる「触覚」の領域の体験との親和性です。たとえば、画面の向こうで歩いている人の様子を、映像と音声に加えて、踏みしめることで生じる振動を同時に伝送して、遠隔で感じるテクノロジーがあります(※1)。視覚・聴覚に合わせて、砂などを踏みしめる触感が感じられ、その人と一緒に歩いているような感覚が味わえるわけです。そして、その時、相手が直接の知り合いである場合と、まったく知らない相手である場合とでは、得られる感覚が異なると思っています。チェンさんは「Type Trace」で似たような印象を抱いたことがありますか。
チェン氏:その感覚、とても分かります。“ザクザク”という感覚を相手の人格・体格・年齢なども含めた完全な情報として再現するパターンと、足跡や足音だけで再現するパターンとでは、それを受け取る側の想像力に大きな差が出てくるでしょう。言い換えれば、「認知的な自律性」とでも呼べるものでしょうか。
分かりやすく例えると、3Dホログラムが「ドミニク・チェンです」と名乗った上で情報を提供すれば、受け取る側に想像の余地はあまりなくなります。一方で、あえて情報量を制限したり、情報のチャネルを制限したりすることで、見る人は相手のイメージを能動的に想像するようになるでしょう。
こうした側面は、現状のテクノロジーの設計や作動に対してインスピレーションを与えてくれます。できるだけ臨場感を増すために、できるだけハイデフィニションな情報を作るという思想による設計とは、かなり異なる設計思想につながるのではないかと考えているのです。
渡邊氏:余白というか、すべての情報を与えすぎるのでもなく、まったく与えないのでもない、真ん中の領域をどう作るかというのは大切な視点だとあらためて思います。もし、テクノロジーを機能として捉えると、結果として何ができたという「道具」としての評価のみが行われます。そうではなく、お互いを想像し合うといった認知的な自律性が保たれたプロセスが、テクノロジーとの関わりに内包されていれば、使い手やその周囲の人々のウェルビーイングを生み出す契機となるのではないでしょうか。
—ウェルビーイング研究を続ける渡邊氏とチェン氏は、「ゆらぎ・ゆだね・ゆとり」の3つを合わせた「ゆ理論」と呼ばれる考え方を提言しています。それぞれの人によって望ましい変化の内容とタイミングを考える「ゆらぎ」の領域。何かを他者に任せたり、ゆだねたりする度合いの適切さを考える「ゆだね」の領域。そして、結果だけでなくプロセスに価値を見出す「ゆとり」の領域。
これら3つの「ゆ」を、サービスやプロダクトを設計する前段階において思考することで、結果として「わたしたちのウェルビーイング」を体現する成果物が生まれると二人は話します。この「ゆ理論」を前提として、さらに対話が深められました。
渡邊氏:たとえば、「ゆらぎ」であれば、タイピング作業にしても、その日のキータッチの調子に合わせて異なる音楽が再生される機能が加わると、単純なプロセスであってもまた違った価値が生まれるかもしれません。他者との関係性、距離感をどうデザインしていくかという「ゆだね」にしても、どこまで自分のタイプしたとおりに文字が出てくるかを調整できれば、自分の自己効力感と、自動タイピングから生まれる偶然性の両方のプロセスが楽しめるでしょう。
そう考えると、サービスでも学校の授業でも、多様な局面でプロセスを大切にするという考え方が組み込まれ、結果としてウェルビーイングに繋がっていくのです。
「ゆとり」の考え方に近いですが、哲学者の出口康夫さんは、ある一点を切り取った状態のよさ、「ウェルビーイング」よりも、活動のプロセス全体のよさを捉える「ウェルゴーイング(Well-going)」という言葉を使っています。(※2)
※2)「わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために -その思想、実践、技術」ビー・エヌ・エヌ(2020)(監修・編著:渡邊淳司、ドミニク・チェン)pp. 240-254, 出口康夫「「われわれとしての自己」とウェルビーイング」
チェン氏:確かに、そろそろウェルビーイングという言葉を刷新しなければいけないとは思いますね。何かになっていくという「become」を「well」に付ければ「well-becoming」となります。今とは異なる状態になっていく、まさに「ゆらぎ」ということでもあると思います。人の感情は上にも下にも揺らいでいて、やがて変化していく。そのプロセスにも楽しみや喜びがあるわけです。
渡邊氏:ウェルビーイングのためのテクノロジーを、人の状態をよくするためのテクロノジーとだけ考えると、エアコンが部屋の温度を調整するのと同じく、制御のループがつくられることになります。もちろん、状態がよくなることは大事ですが、プロセスも価値だと捉えられれば、少し寒い状態から暖かくなるほうが部屋を好きになるとか、部屋にいる人達のコミュニケーションが促進されるとか、温度に対する感度が上がるとか、思考の向かう先が変わっていくと思うのです。
僕が最近、注目しているのは「ウェルビーイング・コンピテンシー(Well-being Competency)」(※3)という概念。「多様な人々とともに、ウェルビーイングに生きるための実践的資質や能力」という意味です。これは、自分自身のウェルビーイングへの感度だけでなく、身近な人々、多様な他者、さらには自然や機械など人以外のものとも持続可能かつ健やかに協働していくための資質や特性と言えます。そして、状態を変化させたり、単に楽しいだけではなく、このウェルビーイング・コンピテンシーを獲得できるテクノロジーこそ大切なのではと昨今、思うようになってきているのです。
※3 参照)「ウェルビーイング・コンピテンシー」NTT研究開発サイトよりhttps://www.rd.ntt/sil/project/socialwellbeing/article/well-being_competency_wp.html
チェン氏:コンピテンシーという概念はとても有効だと思います。学習、成長といった視点もありながら、自ら整えていくプロセス。翻って、現在のテクノロジーにおける設計思想は、人間の代わりに何かをやってあげますよという目的に向かいすぎているような気がします。この思想が行き過ぎれば、テクノロジーがなにもかもをうまくこなしてくれるようになり、人間はコンピテンシーを発動させようという気持ちすら起きなくなってしまうかもしれません。
そこで、ウェルビーイング・コンピテンシーを向上させる目的をもってプロダクトを作るという方向が見えてきます。その際、肝になるのはバランスですよね。どこまでお膳立てして、どこまでを委ねるのか。この点について考えていく必要があるでしょう。
渡邊氏:例えば「ゆらぎ」のバランスは、さきほどのエアコンで言うと、今すぐ部屋の温度を上げたいという視点と、じっくりと1時間後に自分の深部体温が上がっていて欲しいという視点。暑いから急激に冷房を入れたいけど、1時間後には風邪をひいてしまうかもしれないという視点。こうした複眼的なものの見方が大切ですね。テクノロジーも、人との関わりの中でそのバランスを発見していけるとよいなと思います。
チェン氏:分かります。抽象的ではありますが、言わばテクノロジーに想像力をもたせるということが、機能だけを目的としない設計思想のヒントになるかもしれないと感じます。
渡邊氏:私の所属するNTT コミュニケーション科学基礎研究所では、離れていても振動などの触感を伝えられる「身体性コミュニケーション技術」を使った研究をしています。最近、岩手医科大学との共同研究のなかで、大学付属病院のNICUに入院する新生児の家族が、遠隔でも自分が子どもの鼓動に触れているような体験ができる「身体性オンライン面会システム」の実験を開始しました(※4)。早産や低出生体重などを理由に新生児がNICUに入院すると親子の身体的コミュニケーションが少なくなり、親のメンタルヘルスや親子の愛着形成に影響が生じることがあります。そこで、遠隔にいる親に、赤ちゃんの映像と共に心臓の鼓動に同期した振動を提示します。
チェン氏:その取組みはとても興味深いですね。例えば災害や家庭内暴力などトラウマケアについて研究されている方とウェルビーイングについて議論した際、大きな気付きがありました。心の傷を負った方がウェルビーイングと聞くと、「あったらいいもの」という理想論的に響いてしまうことが多いと。つまりウェルビーイングとは、問題があまりない人がよりよく生きるためのもの、といった受け止めになりがちだというのです。
一方で私も渡邊さんも、ウェルビーイングという概念に対して切実な問題だという認識を持っています。わたしは、「あったらいいもの」というより「必要なもの」と捉えています。その観点から見ると、会うことのできない赤ちゃんの映像と心拍が感じられるシステムは社会に必要なものとなり得ますし、その人に必要なものをテクノロジーが支援して人と人の関わりが変わっていくというのは、それこそ “well-becoming”の文脈上にあるものですよね。
※4 参照)「触覚を伝える身体性オンライン面会でNICU環境の新生児と遠隔の親をつなぎ、親子の絆形成を支援する共同研究を開始」(NTTグループ2024年11月12日ニュースリリース)
渡邊氏:先日、終末期の在宅医療に携わる医師の方とお話しする機会がありました。その方がおっしゃっていたのですが、ウェルビーイングとはおそらく自分にとってなくてはならないもの、大変な時に自分を支えてくれるもの、なのではないかと感じます。
チェン氏:「支え」というのはとても適切な言葉ですよね。自分がいきいきとした状態でいられる支え、とでも言うのでしょうか。
渡邊氏:そうですね。それぞれの人にとってなくてはならない時間・体験・実感をつくるということが、テクノロジーを考えるうえで大切になっていくのかもしれません。そして、結果だけでなく、プロセス自体にも価値があって、そのプロセスを経ていくことで自らの支えや関わりを周囲の人々との関係の中で発見していく。そのようなコンピテンシーが獲得されていく。そんなテクノロジーが求められるようになっていくのかなと感じました。
渡邊氏:個人それぞれのウェルビーイングにつながるテクノロジーの創出は大切ですが、さらに、そこで生まれたものを社会へとスケールさせる企業の視点も欠かせません。
例えば、最近、興味深いと感じた取り組みがあります。米国の大手企業がスタジアムの命名権を取得しながら、自社の名前を付けずにサステナビリティを意識した言葉を冠して、そこに共感する賛同企業を募った…ということがありました。スケールさせるという意味では、やはりストーリーが大切になってきます。これは、分散型自律組織(DAO)で、ビジョンを掲げてコミュニティを作っているようなイメージにも近いかもしれません。企業活動の一部としてテクノロジーが使われるとしても、このようなストーリーがセットになっていれば、「わたしたち」として活動できる仲間を集めやすいと感じています。
チェン氏:そのお話にはとても共感します。一方で、あえて爆発的なスケールを目指さない方向性にも注目しています。現在の主流は、とにかく急いでIPOをめざすといった爆発的なエグジットモデルです。それゆえSNSなどではアテンション・エコノミーが過熱し、メンタルヘルスの低下や闇バイトのような犯罪の多発など種々の問題が起きています。
爆発的な成長をめざさないビジネスモデルでいうなら、皆でお金を出し合って運営されるSNSのコミュニティがあってもいい。現在のフェディバース(独立したサーバーからなるオープンなソーシャルネットワーク)は近いでしょう。急いでスケールしようとしなくても、小規模でローカルで平和なコミュニティが持続していくイメージです。圧倒的な利益だけをめざすことがビジネスにおける正義ということではなく、こうしたコミュニティ運営の支援モデルがもっとあってもいいですよね。
大規模ではなくてもそのビジネスモデルが10年、20年と持続すれば、社会インフラとして十分、価値があるでしょう。テクノロジーを駆使すれば問題をグローバルに、しかも一気に解決できるというソリューショニズムの発想を一旦、リセットしてもいい。その先に新たなビジネスチャンスがあるかもしれないのですから。
渡邊氏:別の視点からですが、企業活動の中では様々なデータが取得されます。それを、結果を追い求めるためだけに使うのではなく、プロセスをよくするために使うにはどうしたらよいでしょうか。
チェン氏:そうですね、たとえば社内外の生産性を測定するシステムがあるとします。でも現状では、その人は数値目標を達成したか、いつまでにそれを達成したかといった「数値」だけに頼っていますよね。でも数値を追い求めるがゆえに、社員たちの生気がどんどん失われていくとすれば、その状態をシステムは感知できません。結果、一人ひとりが疲弊することで、長期的に生産性は低下していきます。すると生産性測定システムは機能していないことになりますよね。
そこで求められるのがさきほど議論になった「想像」の領域ではないでしょうか。
「この社員は数字を上げているけれど、きちんと家に帰って子どもと時間を過ごせているだろうか」とか、「この取引先との利益は上げられているが、決定プロセスやサービスに対する満足度は良好だろうか」と。こうした観点でデータを取れれば生産性測定の精度は本当の意味で、増すかもしれない。
また、データを測定して経営判断に活かすだけでなく、もっと介入的な技術の使い方も必要ではないでしょうか。例えば、渡邊さんたちが開発した触覚インターフェイスによって、社員や顧客の心臓の拍動を測定した数値を感じられるようにするというのも一つのアイデアかもしれません。そのインターフェイスを通して、互いに対する想像力がますようなものであることが重要ですね。こうしたデータ活用の再発明によって、ウェルビーイングとテクノロジーは共鳴し合える可能性があります。想像を働かせれば、こうした新たなシステム出現の可能性はまだまだたくさんあると感じます。
渡邊氏:お話していて新たな視点がいくつも見いだせました。本日はありがとうございました。
チェン氏:こちらこそ刺激をいただきました。ありがとうございます。
《関連イベント開催!》
【IOWNが変える未来】触覚コミュニケーションの新たな価値
私たちの社会やビジネスを根本から変える可能性を秘めた次世代通信基盤「IOWN」。そのIOWNの社会実装の現在地をお伝えするとともに、その活用例のひとつである「触覚伝送」について掘り下げていくイベントを開催します。ぜひご参加ください。
登壇者:渡邊淳司 氏(NTT コミュニケーション科学基礎研究所)
莊司哲史(NTTコミュニケーションズ IOWN推進室 エバンジェリスト)
日時:2025年2月12日(水)16:00~18:00
会場:NTTコミュニケーションズ本社 (大手町プレイス)29F OPEN HUB Park
申込:下記のバナーから
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