New Technologies

2023.05.24(Wed)

超低遅延映像伝送が実現した瞬間。
「サントリー1万人の第九」遠隔合唱を成功させた舞台裏

#Smart World #イノベーション
ライブ・エンターテインメント分野は、コロナ禍によってそのあり方が変容し、リアルとオンラインの融合によって新しい演奏や鑑賞の可能性が模索されています。

大阪城ホールで毎年12月に開催される「サントリー1万人の第九」は、1983年にスタートし2022年に40周年を迎えた長寿イベント。コンサートではプロの声楽家と一般参加者が集まり、1万人規模でベートーヴェンの「交響曲第9番」(第九)を合唱します。
3年ぶりに大阪城ホールに合唱団が入った2022年は、新たな試みとしてNTTグループが中心となって開発したオールフォトニクス・ネットワーク(以下、APN)を駆使し、大阪と東京の2拠点を超低遅延のネットワークで結んだリアルタイムの遠隔合唱を実現。計1万2,167人の歌声がホールに響き渡りました。

長距離を遅延なく結ぶ技術は、ライブ・エンターテインメントにどのようなインパクトを与えるものなのか。プロジェクトに携わったNTT西日本 IOWN推進室 米坂真司氏と、NTT IOWN総合イノベーションセンタ(以下、IDC)歌原崇氏、鬼頭岳之氏にお話を伺いました。

従来のリモート合唱にはない臨場感

ー2022年末に開催され、メディアにも取り上げられるなど注目を集めた「サントリー1万人の第九」ですが、NTTグループが参画した経緯について教えてください。

米坂真司(以下、米坂): 主催者である毎日放送(以下、MBS)は、過去2回の「サントリー1万人の第九」を、コロナ禍であってもファンの期待に応えるべく一般の方から動画を募集するなどの工夫を凝らして開催されました。人を1か所に集められないという制約がある中で、いかにして合唱を実現するか、さまざまな方策をご検討されたと聞いています。リモートで合唱団を編成するアイデアは持たれていたようですが、一般的なネットワークを用いたリモート合唱では、通信の遅延が大きく、実際に同じ場所にいるかのように歌声と映像をリアルタイムかつ双方向で重ねることが難しいという技術的な課題がありました。

そのような中、NTTグループが行ったAPNを用いたリアルタイム・リモート演奏会の実証実験のニュースをご覧になったMBSから、「サントリー1万人の第九」にも応用できないかとお声がけいただきました。

今回の実証実験は、このAPN関連技術を用いたネットワークで、大阪城ホール、QUINTBRIDGE(大阪)、OPEN HUB Park(東京)の3拠点を接続し、それぞれに配置された合唱団が互いに遅延を意識せずに合唱できるかどうか評価を行うものでした。

ー大阪城ホールの指揮の映像に合わせて東京の合唱団が歌う様子が印象的でした。OPEN HUB Parkからリモートで合唱に参加された方たちの反応はいかがでしたか?

米坂:プロの合唱団の中には従来のリモートツールで合唱をしたことのある方もいらっしゃったのですが、その時に感じられていた遅延による違和感が、今回の実証では全く感じられなかったとの感想をいただきました。演者の方のみならず、合唱を聴いてくださった一般のお客さまからも高い評価を得ることができました。

また、今回、遅延量としては、人がずれを気にせず演奏ができると言われる片道20ミリ秒以内で音声と映像を伝送することを目標としていましたが、東京・大阪間においてその目標を達成することができました。MBSにおいても過去に、従来の放送システムを利用して東京と大阪間の映像伝送をされたこともあるそうですが、今回はその時の遅延量を大幅に下回ることができ、APNの圧倒的な低遅延性を実感いただきました。

米坂真司|NTT西日本 IOWN推進室

鬼頭岳之(以下、鬼頭):私は指揮者のいない遠隔地に待機していたのですが、そこから合唱に参加した人の中には涙を流されている方もいました。なんといっても指揮は世界的に活躍される佐渡裕さんです。その佐渡さんの指揮に合わせて、リアルタイムで歌っている。そんな実感を遠隔地にいる合唱団の方も得ることができたのではないでしょうか。

鬼頭岳之|NTT IOWN総合イノベーションセンタ

歌原崇(以下、歌原):1つの会場だけで行う合唱でも、大きなホールではオーケストラに近い真ん中と端にいる人では、伴奏が聞こえてくるまでにタイムラグがあります。そうした会場内での数メートル間で発生するタイムラグより少ない遅延を、APNは東京‐大阪間で実現したのです。

ただ、遅延がなさすぎる部分に違和感を覚えないように調整することが、エンジニアの方にとっては新たな挑戦でもありました。しかし、従来は遅延を受け入れるほかなく、調整する余地もなかったのですから目覚ましい進歩です。

歌原崇|NTT IOWN総合イノベーションセンタ

鬼頭:会場には従来のリモート合唱にはない臨場感が生まれていたと思います。何かのアクションに対して画面の向こう側にいる人たちが、遅延なくリアクションをしてくる。たとえば、全く同時に拍手が起こるのです。遠隔地にいる人であっても参加意識や満足感を得られたことでしょう。

東京 大手町のOPEN HUB Parkに集まった合唱団

綿密なリハーサルを重ね、APNの実装を実現

ー放送局、合唱団、そして観客にとっても新しいエンターテインメントの形を体験する機会になった今回の「サントリー1万人の第九」ですが、成功の要となったAPNという技術について教えてください。APNを駆使することでなぜ遅延を解消できるのでしょうか?

歌原:APNとは、伝送媒体から伝送装置、情報処理基盤に至るまでネットワークの主要構成要素にフォトニクス(光)ベースの技術を導入したネットワークのことです。伝送装置や情報処理基盤など、まだエレクトロニクス(電子)ベースで動いている部品をフォトニクスベースにすることで、圧倒的な低消費電力、高品質・大容量、低遅延の伝送を実現することができます。

以前、渋谷・新宿間で行った同様の実験では良い結果を得ることができたのですが、今回は東京と大阪という、光ファイバー長にして700キロ超えの距離を結ぶ実験です。うまくいくかどうか、当初の不安は大きかったですね。

ー実験に向けてどのような準備を進めていったのでしょうか?

米坂:APNという開発段階の技術を、イベントに導入するためのパッケージングされたシステムがあるわけではありませんでした。あくまで開発段階の技術であって、リソースやノウハウなどさまざまなものが十分ではない中でのスタートでした。そのため、まず取り組んだのが社内外の協力体制の構築と連携の強化です。当社の技術部門だけでなく、ビジネス部門やNTT研究所をはじめとしたNTTグループ会社と連携して、実現に向けたプランを練り始めました。

もちろん、我々NTTグループだけで十分ではなく、MBSのスタッフの皆さまの連携も不可欠でした。MBSのエンジニアの方々にもAPNの技術的価値や効果について、プロの目線で評価いただけたことも、今回の実証実験の意義がありました。APNの仕組みやその実力をご理解いただきながら、一緒に効果的な活用の仕方や実現方式などを検討していきました。

大阪城ホールの様子が映し出されたモニター。APNによって指揮者の動きを大阪城ホールと同時に見ることができる

歌原:現場での事前試験を重要視し、何度も行いました。実証実験といっても失敗は許されません。特に気をつかったのは、拠点間の意思疎通です。たとえば機材の位置替えを指示しようと思っても、指示を出す人が現場にいなければ、何をどうすればいいか分からなくなってしまう。機材1つひとつをラベリングし、どこに準備されているか、どの機材とつながっているかがすぐに分かるようにすることで、突然の構成変更にも対応できるよう工夫しました。

米坂:試験をすればするほど課題が出てくるので、対応策を考える日々でしたね。関連部門も多いので、それぞれの状況を踏まえながら今できる最適解を選び柔軟にプロジェクトを進めていくのはなかなか大変でした。不測の事態に備え、機材や人員、実現方式などについてバックアッププランを準備して、万全を期して当日に臨みました。研究所の理想的な環境で生まれた技術を、しっかりと現場で使えるものにしていくことの難しさ、大切さを痛感しましたね。

IOWNをベースにさまざまな業種との連携を

ー実証実験を終えて見えてきた課題や可能性とはどんなものでしょうか?

歌原:課題に感じたのは、今回の実証実験で使用した機材やツール、あるいは運用方法をとりまとめてシステム化していくことです。こうした大規模な実証実験は過去に3回行ってきましたが、現段階では決まったシステムあるいは機材のパッケージというものがなく、実験を行うたび、その環境に合わせて一からセッティングをしていく必要がありました。どんな場所でも気軽に使えるような可搬性を持ち合わせていないのです。

今後サービスとして提供していくためにも、可搬性を高めていく必要があると考えています。将来的には、誰もが即時に無線で接続できる状態にしていきたいですね。

米坂:技術そのものにはまだ改良の余地がありますが、メディアの方々の技術と組み合わせることで活用の幅が広がる可能性を感じました。リアルタイムかつ双方向でコミュニケーションができる形で都市部や郊外など各地に広がる施設や空間をつなぐことによって、今までにない新しいエンターテインメントの形を生み出していければと思います。

歌原:遠く離れたアーティスト同士がもっと気楽に共演したり共同制作できるようになったり、海外で活躍するような著名な指揮者・奏者から、国内にいる若者がレッスンを受けられるようになったりと、エンターテインメントの領域だけでも多様な活用法が期待できます。

ー今回はリモート合唱に活用する事例でしたが、APNの活用可能性は用途を限定しないものだと感じました。今後の展望を伺えますか?

米坂:APNによって、これまで以上に距離による制約が解消され、新しい働き方や職業が生まれてくるのではないかと思います。そうしたビジョンを持って、今後も多くの事例に取り組んでいきたいと思います。

歌原:医療分野での活用も有望視されています。現在、遠隔操作可能な手術支援ロボットが登場してきていますが、ここでも遅延が課題となっています。いかに操作者が熟練していようとも、数ミリ単位のメスさばきが求められるような手術では、遠隔操作に伴う遅延が手術の成否を左右しかねません。遅延をAPNでクリアすることができるようになれば、優秀な執刀医が勤務地に左右されることなく活躍できる社会が訪れるでしょう。

米坂:APNは、IOWN(Innovative Optical and Wireless Network)構想の構成要素の1つです。そのAPNに加え、多様なICTリソースを効果的に管理や制御する「コグニティブ・ファウンデーション」、実世界とデジタル世界をさまざまに掛け合わせることによって未来予測や能力拡張など新たな価値を生み出す「デジタルツインコンピューティング」、これらを合わせた3要素によって多様な課題の解決を目指すのがIOWN構想です。

歌原:IOWN構想の実現によって、たとえば再生可能エネルギー利用の効率化などが期待できます。太陽光や風力によって生み出される再生可能エネルギーは、天候によって発電量が左右されます。地域で発電される再生可能エネルギーだけに依存しすぎると、デジタルインフラが天候によって使えなくなってしまう可能性があるのです。しかし、IOWNによって、各地域が接続されることで、ある時に発電量が少ない地域のコンピュータリソースを、その時発電量が多い地域に求めるといった柔軟な対応ができるようになります。

鬼頭:再生可能エネルギーの活用はカーボンニュートラルを実現していくうえでも重要です。IOWNは、日本だけでなく世界に必要とされる技術だと思います。

米坂:単にAPNの実用性を証明するだけでなく、IOWNとして提供できるより大きな価値を具体化し、社会課題の解決に貢献していくことが我々の大きなミッションです。2025年には大阪・関西万博が開催されます。今回のような取り組みを増やし、IOWNの価値を世界に発信できるよう頑張っていきたいです。