Future Talk Future Talk

vol. 02

vol. 02

抗生物質が効かなくなる? 抗菌薬をめぐる課題解決は“秘匿化”にアリ

  • 共創
  • Smart Healthcare

医療分野のデータ活用は、患者さんの機微な個人情報を扱うことから、セキュリティなどの観点でさまざまな困難を伴います。しかし、情報を暗号化したまま統計解析が可能な「秘密計算」の技術があれば、こうした困難を解消することが可能です。千葉大学医学部附属病院 感染制御部・感染症内科 谷口俊文先生と、千葉大学医学部附属病院次世代医療構想センター センター長/特任教授でOPEN HUB カタリスト/アドバイザーの吉村健佑氏、スマートヘルスケア推進室カタリスト 櫻井陽一が、感染症内科領域での共同研究の取り組みについて紹介します。

新型コロナ対策の現場から

——谷口先生は感染症内科医として、新型コロナウイルス感染症治療の最前線にいらっしゃるのですね。今、現場はどのような状況でしょうか?

谷口氏:現在(2021/12/17時点)は感染者数が少ない状態が続いています。ただ、オミクロン株が海外から輸入されつつあり、戦略を切り替えながら、今後訪れるかもしれない第6波に備えなければなりません。千葉県内では、入院病床の確保や入院待機ステーションの整備などを進めています。

これまで、2020年春の第1波から、2021年夏の第5波まで経験しました。本来は波が来ている間に、状況に合わせて迅速に対応を変えられるのが理想ですが、実際には波が去った後に振り返って改善することしかできず、残念でした。とはいえ、諸外国と比べれば、日本は感染者数も死亡者数も少なくなっています。多くの方がマスクをつけてくださっていることと、ワクチンの接種率が非常に高いことが大きいと私は考えています。しかし、現場の医療従事者は相当苦しんでいたのも事実です。

谷口 俊文|千葉大学医学部附属病院 感染制御部・感染症内科
2001年千葉大医学部卒。日米の内科専門医、感染症専門医の資格を持つ。内科学、EBM、感染症学の普及に尽力。HIV感染症、抗菌薬適正使用が研究のテーマ。2020年1月以降はCOVID-19診療のフロントラインに立つ。

——電子化やDXといった観点で、苦労されている点はありますか?

谷口氏:まず、発生届が当初は紙ベースだったため、特に患者さんが増えてからは非常に苦労しました。後にHER-SYSというシステムができましたが、扱いづらく、早くから使いやすいシステムが整備されていたら良かったと思います。

また、患者さんのリスク因子や転帰の情報がリアルタイムに電子化されて、なおかつ柔軟に情報を追加・修正できるようなシステムが欲しいですね。リスクの高い方を優先的に入院させたり、宿泊療養施設に入れたりしやすくなります。また、時間とともに新たなリスク因子が判明することもありますので、柔軟に書き換えられることが望ましいです。

——発生届に、リスク因子などの情報を統合することはできないのでしょうか。

吉村氏:感染症の発生届は法令で規定されているため、柔軟な対応が難しいんです。法令や施行規則の改正が必要になります。

櫻井:日本の場合、保険請求のためのシステムは整備されているのですが、今回のようなパンデミックに対応するためのデータ共有のしくみはありませんでした。新型コロナウイルス感染症で打撃を受けたことによって、今後進展するかもしれませんね。

櫻井陽一|NTT Com スマートヘルスケア推進室カタリスト

AMR対策の現状と課題

——ここからは共同研究のお話に入りたいと思います。今回の共同研究は、世界的に問題となっている薬剤耐性(AMR)に関して、薬剤耐性菌の出現率を可視化するプロジェクトですが、まずAMRとはどのような問題なのでしょうか。

谷口氏:これは抗菌薬の不適切な処方により、細菌に対して抗菌薬や抗生物質が効かなくなる問題です。また、抗菌薬の効かない薬剤耐性菌が増えることで、感染症の治療や予防の妨げになってしまうことが大きな問題となっています。

この問題の根底にあるのは、「目の前の患者さんを良くしたい」という医師の想いです。少しでも効果のある薬を出したいと、さまざまな細菌に有効な広域スペクトラム抗菌薬を処方してしまう。実際にはそんなに広域な抗菌薬が必要ないとしても、患者さんを目の前にすると「もしかしたら悪化してしまうかも」といった不安が生じて、より狭域な抗菌薬を使うことをためらってしまうんです。

——現状はAMRに対してどのような対策が取られているのでしょうか?

谷口氏:国は2016年に「AMR対策アクションプラン」を立てて、抗菌薬の適正使用を促進してきました。また、『抗微生物薬適正使用の手引き』も作成されました。抗菌薬が多く処方されるのは入院ではなく外来ですので、咽頭炎や急性胃腸炎など、抗菌薬がよく使用される疾患の治療方法について情報提供するものです。セミナー形式での啓発活動も行われましたが、抗菌薬の使用状況が大きく変化したとは考えにくいのが現状です。

——啓発活動だけではなかなか効果が出ないのですね。

吉村氏:少し触れにくいですが、ユーザーである患者さん側の問題もあります。薬が処方されないと「対処してもらえなかった」と感じて、医師に対する満足度が下がることもあります。健康保険で診療の費用がカバーされるため、金銭的な負担も少ないですから、「念のためもらっておこう」という行動につながりやすいんです。

吉村 健佑|千葉大学医学部附属病院次世代医療構想センター センター長/特任教授、OPEN HUB カタリスト/アドバイザー
千葉大学医学部卒、東京大学大学院・千葉大学大学院修了。精神科医・産業医を経て、厚生労働省に入省。医療情報に関連した政策と制度設計に関わる。2018年より千葉大学病院にて病院経営・医療政策の教育研究および、千葉県庁にて実務に携わる。専門は医療情報、医療政策、精神保健。

谷口氏:AMR対策アクションプランでは、「風邪に抗生物質は効かない」といった患者さん向けの啓発も行われています。抗菌薬の代わりに、例えば喉が痛むなら鎮痛剤、咳が出るなら咳止めなど、対症療法的な処方を行うこともあります。

櫻井:風邪をひいて病院に行くと「抗生物質」という薬をもらうものだ、と子どものころからなんとなく思っていました。対症療法で患者さんのつらさを緩和できれば、そこまで抗菌薬を必要としない国民性に変わるかもしれませんね。

「秘密計算」で情報を保護しながらAMRの状況を可視化

——今回の共同研究の内容について、具体的にお聞かせいただけますでしょうか?

吉村氏:抗菌薬の適正使用を促すとしても、個々の医療機関に抗菌薬処方の抑制を求めるのは難しいものです。そこで、地域全体での抗菌薬の処方量を可視化し、処方量が多い地域と少ない地域が目に見えるようになったら行動変容につながるのではないか、と発想を転換したのが今回の研究です。

谷口氏:AMRに関する私の研究は、2本柱になっています。1本目の柱は、千葉県内の二次医療圏ごとに、抗菌薬の使用量をモニタリングするもの。このデータを会報誌として医師会や薬剤師会にフィードバックしています。さらに、個々の診療所レベルでの抗菌薬使用量を可視化するプロジェクトも、2021年9月から始めました。近隣の医療機関名はすべて匿名化し、自院と比較できるようにグラフ化してフィードバックしています。

もう1本の柱は、薬剤耐性菌の出現率を二次医療圏ごとに可視化するプロジェクトで、NTT Comさんにご協力いただいているのはこちらです。「薬剤耐性菌が問題なので、抗菌薬の使用を控えましょう」と言われてもピンと来ないと思いますが、「この地域では薬剤耐性菌の出現率が50%ですが、隣の地域では10%です」と定量的に伝えれば、処方見直しにつながるかもしれません。そこで、二次医療圏を代表する基幹病院にデータをご提供いただき、薬剤耐性菌の出現率をグラフ化して比較できるようにしたいと考えています。

——NTT Comが今回の共同研究で提供する技術は、どのようなものでしょうか?

櫻井:「秘密計算」という技術を使っています。これは、データを秘匿化した状態で保存し、暗号化したままの状態で分析を行える機能です。抗菌薬を他院よりも多く処方していることは、AMRの観点ではあまり良くないことですから、医師の方々もそれを周りから知られてしまうことは避けたいでしょう。しかし、今回の研究では医師の方々から協力を得ることが不可欠ですから、秘密計算技術を使うことで、こうした部分に配慮できるわけです。

秘密計算の技術にはさまざまな企業が取り組んでいますが、NTT Comの強みは、演算スピードの速さと、ロジックの多さです。統計解析はもちろん、ディープラーニングやAIモデルの作成なども秘密計算でできるように、谷口先生と一緒に取り組みたいと考えています。医療の世界でも、秘密計算AIやディープラーニングを使った研究はまだ進んでいませんので、先進的な取り組みになるのではないかと思います。

——NTT Comの技術に接して、谷口先生はどのように感じられましたか? 

谷口氏:秘密計算技術は我々にとって非常に強い武器になるだろうと思いました。さまざまな病院からデータを提供してもらう際、一番ネックになるのが個人情報ですので、暗号化したままで統計解析ができるのは魅力的です。実際、秘密計算について病院の先生方に説明をすると、ご納得、ご安心いただけるようで、お声がけしたすべての病院からデータをご提供いただけています。今後データを解析して病院・診療所の先生方にフィードバックしていくのが楽しみですし、まだ先の話ですが、行動変容につながるのではないかと期待しています。

さらに、今まではデータを集めて解析して終わりだったと思いますが、ディープラーニングなどの技術でデータを探索的に活用できるのも強みだと思います。必ず何かが得られるというわけではありませんが、研究者としては、何か新しい情報が得られたら嬉しいですね。

企業との連携によって広がる未来

——今回の共同研究の成果は、他地域や他分野にも応用できそうでしょうか?

吉村氏:今回の共同研究でモデルができれば、応用可能だと考えます。秘密計算は、多施設横断の情報共有と極めて相性の良い技術です。現状、医療データは、個々の医療機関にばらばらに蓄積されていますが、これを集めて活用するにも、患者さんの機微な診療情報ですので、個人情報保護の観点で難しい。それを解決する可能性があるのが秘密計算技術です。千葉県内のみならず、全国にこのモデルを展開することも当然可能でしょう。また、抗菌薬に限らず、処方量が増えがちな睡眠薬などの処方モニタリングにも応用できそうです。

櫻井:今回の共同研究では薬剤耐性菌の出現率をモニタリングしますが、先ほど説明があったように、谷口先生の研究は2本柱になっています。両方の研究のデータを組み合わせれば、見えることも変わってくるでしょう。

——谷口先生は現場の医師として、NTT Comのような企業に対して何を期待されますか?

谷口氏:医療の現場にいると、技術に関することを知る機会がなかなかありませんので、今回の出会いには非常に感謝しています。企業には医師や研究者が持っていない優れた技術があると思うのですが、どういう技術をお持ちなのか積極的に見せていただきたいです。今回はたまたま、吉村先生を介して秘密計算を知ることができましたが、ぜひどんどんアピールしていただき、可能であれば協力していただけると助かりますね。

吉村氏:医療分野の場合、扱う内容が機微ですので、病院や大学が企業との連携に慎重になりがちです。企業からの情報を精査・評価し、適切なものを適切なところにつなぐというコーディネーター的な役割が必要だと考えていて、その役割を次世代医療構想センターが担えればと思っています。

櫻井:NTT Comは現在OPEN HUBという場づくりに力を注いでいて、さまざまな技術や取り組みについて発信しています。ヘルスケア領域のソリューションを提供していることをいかに医療関係の方々に認知していただき、わかりやすく伝えてつながりを築いていくか、企業側の努力が必要だと思います。

逆に我々は、今回の共同研究で、先生方との意見交換や診療現場の見学などをさせていただき、医療現場のニーズを吸い上げる貴重な機会をいただいています。そういった点でも、この研究は非常に有益だと思いますね。

NTTコミュニケーションズ スマートヘルスケア推進室の取り組みはこちらから。

join OPEN HUB